辰野町から箕輪町へ行きます~
箕輪町の基本情報
人口:25154人
世帯数:10005世帯
面積:85.91km2
状況マップ
場所(googlemap)
箕輪町のツーリングスポットや観光など
ツーリングルート
諏訪箕輪線・樽尾沢キャンプ場
箕輪町なら「諏訪箕輪線」を走っておきたいところです。
「もみじ湖」や「樽尾沢キャンプ場」があるルートです。
ここから先は、冬期通行止めです。(集落があるのに)
このゲートの先は、諏訪になり、有賀峠に続いています。
もみじ湖(箕輪ダム)
ダムを作ったので、水道料金が馬鹿高くなりました。
樽尾沢キャンプ場に来ました。入り口がちょっと分かりづらいかも。
こんな広々したサイトが無料なんて・・・と思いきや
炊事場はこれだけなので、調理はサイトでできるものが良いですね。
トイレもちょっと小さく、サイトから少し離れています。
無料なので、このくらいはしょうがないですね。
あと、キャンプ場には冬には行かないことをおすすめします。
(でも、たまにここでキャンプしている人がいます笑。話をうががったところ、夜は氷点下になるそうな・・・)
その時の記事はこちら。
ながた自然公園(ながた荘・ながたの湯など)
長田という地区にあるので、ながたという名前がついています。
森も含めると結構大きいかもしれません。
バーベキュー、バンガローがある方へまずは行きます。
かなりの上り坂を上がっていきます。
事務所です。ここで、バーベキューなど有料のものは申込みをします。
アスレチック
スタートから行きます。
じゃあ、行きますー
ゴーーーーーール!
いやー、疲れたー
で、途中はよ?
えw
えwじゃね(-_-メ)
も、もうしわけございませんm(_ _)m
スタートの隣がゴールなので今回のみズルをしました笑
前半は、上がっていき、後半は下っていく感じのコースになっています。
結構いい運動になるので、元気のある方はぜひやってみてくださいね。
ながたの湯、ながた荘
写真はながた荘。宿泊施設となります。
ながたの湯はこの上に入り口があります。
ながたの湯は、大人500円。
萱野高原
チャレンジャーの皆さんは是非行っていただきたい。
上がり方は福与か長岡から上がる2ルートあるのですが、比較的に福与から上がっていったほうが道は良いです。
昨年歩いて登ってみました。
(長岡からのルートは道が狭い上、少し荒れています。)
下からよく見える「信州かやの山荘」。
昔からあって、潰れたと思っていたのですが(失礼な)、ちゃんとシーズン中は営業していました。
ここにもキャンプサイトがありますが、こちらは有料。
駐車場からは若干歩きますので、軽量で行くのが良いかも。
夜の上からの眺めは最高。
箕輪町へ
みのわ天竜公園に来ました。(天竜川の側にあります)
ただトイレに寄っただけです^^;
ここの道を真っ直ぐ西に走れば役場です。
箕輪町役場
箕輪町役場に来ましたー
ちょっと気になっていたのですが、「箕輪町役場」ではなく「箕輪町庁舎」となっています。
今までの町村は、おそらく、ほとんどが「○○役場」だったと思いますが、
「庁舎」となっているのはめずらしいですね。
むしろ、「箕輪町役場庁舎」ではないか?とも思ってしまいます。
役場のフロア案内図がホームページなどでもないので、何か他にも施設があるかもしれないのですが、組織と場所を確認する限りでは普通の役場と同じです。
図書館は同じ敷地内で別建物としてございますので、庁舎となぜ付けたかの真相は不明です。
大きな建物に感じます。
屋根のソーラーが良いですね。
あと、建物の中央にある箕輪町章ですが、たぶん、「ミの輪」を図にしたのではないかな?w
さて、次に行きます。
Next(次)
南箕輪村(残り19市町村)
編集後記
少し重い話になってしまいますが、中箕輪高等小学校(現在の箕輪町立箕輪中学校)の「木曽駒ヶ岳大量遭難事故」に触れておきたいです。
「聖職の碑」(せいしょくのいしぶみ)として小説や映画化されました。
大正2年(1913年)8月26日~27日に起こった遭難事故で、教職員を含む多くの子供が遭難し、犠牲になってしまった遭難事故です。
箕輪中学校の中学2年では、概ね7月頃に慰霊も兼ねて西駒登山へ行っています。
日帰りではなく泊まりの登山で、宝剣山荘などに宿泊します。
本格的な登山となりますから、事前に練習登山を行います。中学校を出発、西小学校へ行き、そこから、小さな山に登ります。
Wikipediaなどでは、「中箕輪高等小学校(現在の箕輪町立箕輪中学校)」と書かれているのですが、正しくは、「中箕輪尋常高等小学校」で、また、単に制度上の高等小学校を中学に置き換えているのですが、実際は、現在もある小学校の方から出発していることからも分かる通り、「尋常高等小学校」は「尋常小学校」と「高等小学校」が1校になっているものなので、現小学校の方が、しっくりきます。たしか、小学校の方に石碑があったと思いますので、そのことからも、一概にどっちと割り切れるものではないだろうと思います。
なぜ、遭難が起こってしまったのかということについてはいろいろ見解があるのですが、直接的な原因は、暴風雨に襲われたことです。
暴風雨と言っていますが、太平洋上にあった台風と言われていて、当時はまだ気象技術が今ほど発達していなかったので、小笠原諸島付近に颱風(台風)があったこと若しくは進路が正確にわからなかったのでしょう。
大正2年8月26日~27日の天気図が入手できたので、確認してみると、
大正2年8月26日の天気図
小笠原諸島付近に何やら低気圧っぽいものがあるのが確認できます。
出発時にはそれほど影響はないとされていたのでしょうね。
現に出発前に気象台に校長が天気の確認しています。
映画では、たしか、気象台は「海上の低気圧は、停滞している」との回答だったと思いました。
気象概要がなんて書いてあるのかよくわからないのですが、北北東へ進路と書かれているような気がするので、もしそうだとすると、日本への直撃は予想外だったのかも。
大正2年8月27日
あかん、颱風関東に直撃。
急速に発達したのでしょうね。
ただ、26日と27日では颱風があまりにも違いすぎるー
長野県に直撃ではなかったものの3000mに近い山の上ですから相当の寒さと暴風雨だったことが想像できます。
2000mくらいの美ヶ原高原や麦草峠でも寒いくらいのことがあるのにもう大変です。
ちなみに2019年の台風15号の予想進路を見てみると、1日で結構移動するのがわかります。
遭難から100年以上経った昨今、気象技術はかなり進んだはずなのに、自然災害の恐ろしさを目の当たりにすることが多くなり、牙を向いた自然の前では人間が無力さを感じてしまいます。
そして、長野県にいると、山での遭難が毎年毎年必ず起こるということがよくわかります。
冬での遭難もあるのですが、最近では、バックカントリー等で無謀なことをして遭難する人も跡を絶ちません。
山をなめたらあかん。
同じ悲劇を2度と繰り返さないためにも、語り継いでいくことで警鐘を鳴らしていくことが大切なんだろうと思います。
ではでは~
こちらもよろしくです。
コメント
こんな良さ気なキャンプ場がタダとは!?
箕輪町太っ腹と感心していたら、ダム作ったせいで水道料金跳ね上がりってのは許せませんね~(`Δ´)
菅野高原、絶景ですが、バイクで行けると思いきや歩きなんですね…残念。。。
遭難事故とは悲しい歴史があったんですね。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り致しますm(_ _)m
無謀なバックカントリーで死亡した場合は、自分の欲求を満たすために後先を考えてないので自業自得でしょう!!
薄情なようですが、自分は同情出来ませんね。
毎年、こうした無謀な奴らがいますが、残された親族友人の事を考えたらそう軽々しくするものではありません。
逆に迷惑行為です!!
マサさん、コメントありがとうございます~
ダムは良かったのかどうなのかはわからないですね。
萱野高原は、バイクで行けますよー
私は単に歩きたかったので歩いたのですw
ぜひ行ってみてくださいね^^