【長野県の77市町村に全部行く】 No.42 南相木村(みなみあいきむら)

長野県の市町村に全部行く

北相木村から南相木村へ行きます~

 

南相木村の基本情報

人口:933人
世帯数:430世帯
面積:66.05km2

状況マップ

場所(googlemap)

南相木村のツーリングスポットや観光など

今回は、南相木村役場のホームページからいくつか引用させていただきますね。

前回、相木村は、縄文時代頃には人が生活してきたことを買いましたが、

「南相木村に人が住み始めたのは、今から遡ること縄文時代中期の頃といわれています。」

ということなので、調査や出土したものの分析によりある程度のところはわかっているようですね。

 

「室町時代の文安2年(1445)になると、村名の由来ともなっている相木(阿江木)氏の名前が歴史に登場します。」

相木村の「相木」は、やはり、そのあたりを治めていた相木氏のお名前からのようですね。

 

「相木氏は佐久地方を治めていた大井氏や甲斐の武田信玄の家臣として活躍しました。」

このあたりは、歴史が好きな方のほうが詳しいかもですね。

 

「江戸時代の芝居舞台として建てられ、近年まで全国で唯一の茅葺屋根の庁舎としても有名だった旧役場庁舎(現在の民俗資料館)」

うむー、行くのをうっかりしておりましたね。
今度、行ってみましょう。

 

「村制施行から百十余年の歳月が過ぎました。今この村に暮らす私たちは、村に伝えられる貴重な文化財の数々を先人たちが残してくれた大切な宝物として、未来の子どもたちへと受け継いでいかなくてはなりません。」

ほんとそうですね。
古き良いものを残し、新しいものを想像して創るってことが大事なのかなぁって思います。

 

立岩湖

南相木川にある湖です。
フィッシングが盛んなようですね。
役場からは更に南相木川上流へ向かう途中にあります。

 

南相木ダム

南相木ダムは、さらに南相木川上流のほうにある標高は1532mで、大規模なダムとしては日本一標高の高い場所にあるようです。

ダムのせき止めによって「奥三川湖」が形成されています。
更に奥には、高天原山がございます。
ダムに行くまでの「県道2号線」もなかなかツーリングには良いのではないかと思いますよ。

 

 

南相木村へ

さて、北相木村から南相木村へどうやって行くのか?

大回りすることになってしまうのだが、「大鰭峠」というところがありまして、
現在はそこに大鰭トンネルというトンネルがあるので、そこを通過していきますよ。

 

大鰭峠(おおひれとうげ)ですが、現在は、峠道の形跡がなさそうなのですよね。

大鰭峠とは、ヒレなので、珍しいなと思って調べてみたら、
南相木村村のホームページに記載されているではありませんか。
なんと、かゆいところに手が届くホームページなのでしょうか。
他の市町村もホームページを充実させたほうが良いと思う今日このごろ。
(観光協会などあれば、そちらのほうに詳しく書いてあることもありますが)

 

昔、北相木村の三滝山に住んでいたイワナが成長し龍となった。大きくなった龍は三滝山が手狭になり、諏訪湖へ行こうと思ってこの峠で休んだとき、松に引っかかり「ひれ」を落としていった。そこで【大鰭峠】と名がついたという。

・・・赤字は私が入れました。

ツッコミどころ満載ではございますが、南相木村のHPに北相木村に住んでいた龍の話が書いてあるという親切!決して仲が悪いわけではないということですね。

どんだけ、大きいひれだったのか気になります。

私の勝手な想像:夏になると大きな雲が現れるのですが、龍に見えるものもあったのではないかなぁと。

 

 

 

来ましたー

 

南相木村役場

役場に来ましたー

 

南相木川にてちょっと休憩。

桜が良いですね。

 

ちょっと散っているかな。

 

さて、次に行きましょう~

 

Next(次)

南牧村

 

編集後記

さて、個人的に面白かったのが、南相木村のホームページに記載されている歴史(歩み)。(http://www.minamiaiki.jp/ayumi.htm)
最初から見ていきます。

1889年(明治22年)  町村制施行により、南相木村として独立
1902年(明治35年)  廻り舞台を小学校校舎にあてる(現民俗資料館)

ここまではなるほど。

 

1904年(明治37年)  常源寺全焼

うーん?全焼って・・・どうコメントしていいの困ります。

 

1917年(大正06年)  初めての消防団ができる
1925年(大正14年)  電灯が村にともる

おおー、これはわかる気がします。
けっこう大変なことだったと思うし、
拍手喝采だったのではないかと想像されますねー

 

1937年(昭和12年)  役場、農協に電話が入る

そう言えば、トトロで電話のシーンが出てきますが、みんなで共用する重要な通信インフラでした。
携帯電話が普及した今ではあの時代には戻れないかもですね。
しかし、歴史としては、村に初めて電話が入った年のほうが気になります。

 

1945年(昭和20年)  学童疎開のため児童が急増する
1950年(昭和25年)  第1回南相木村民運動会開かれる
1955年(昭和30年)  レタス、ハクサイが試作される

レタス、白菜がどのくらいすごいことなのかちょっと私にはわかりませんが
きっとすごいことなのでしょう。

 

1958年(昭和33年)  村で映写機購入 テレビが初めて入る

例えて言えば、「磯野家、カラーテレビを買う」みたいな?

 

1985年(昭和60年)  日航機墜落事故救助のため自衛隊700余人来村

これについて触れるかどうか悩みましたが、あえて触れさせていただきます。

この事故が起こったのは私が子供の頃でした。
ちょうど、母親の実家に泊まりで行っていたときで、怖かったことを覚えております。
墜落現場は、群馬県上野村御巣鷹山と報道されましたが、正確には「高天原山(たかあまはらやま)の尾根」でして、高天原山は、この南相木村と川上村と群馬県と境目(県境)になっています。

よって、群馬県側と長野県側から救助が行われました。

最終的にはボーイング社の整備不良だったわけですが、ボ社にはそれほど責任を取らせることが出来ず、おそらく、政治的なこともあったでしょうし、釈然としない決着となった気がします。

いずれにしても、二度とこのような事故が起こらないことを祈るばかりです。
また、多くの人命が失われる災難が度々起こるのですが、
そういった災難が起こらない世の中であってほしいと思います。

 

ではでは~

こちらもよろしくです。

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この記事を書いた人

血液型:0型
所在地:信州(長野県)
バイク:Ninja250、クロスカブ
自己紹介:クロスカブに乗るへっぽこ40代ライダー。バイクのことは詳しくないけど、ツーリングが好き。長野県を中心にツーリングに出かけています。ITも好きなへっぽこITエンジニア。個人投資家ダメリーマン。Ninja250でお遍路中にコケるもなんとか11日間で全部回ってみたり、クロスカブで信州から四国までフェリーを乗り継いで1日で行って見たり、ボロボロになりながら、ツーリングライフを楽しんでいます。

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