【長野県の77市町村に全部行く】 No.41 北相木村(きたあいきむら)

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小海町から北相木村へ行きます~

 

北相木村の基本情報

人口:751人
世帯数:329世帯
面積:56.32km2

状況マップ

場所(googlemap)

北相木村のツーリングスポットや観光など

北相木村周辺は、すでに縄文時代(紀元前14000年頃)には人が住んでいたらしいです。

旧石器時代 – 紀元前14000年頃
縄文時代 前14000年頃 – 前10世紀

詳しくは、「北相木村考古博物館」に行って見てみるのが良いとは思います。(休館日を確認してね)
私達の生活が近代化されたのはここ数百年くらいで、
10000年前からここに人が住んでいて、生活していたことを想像すると
凄さとロマンと今の自分には無理だわーと思う反面、この大自然が今も昔も変わらないんだなと思い、
いつまでもこの自然が保たれることを願いたいですね。

栃原岩陰遺跡(北相木村字東栃原上ノ段)にて、発掘されたものがいろいろございますので、
考古学的なことがお好きな方は遺跡と博物館めぐりのツーリング計画をしても良いかもですね。

 

そういったことで、大昔は、当然ながら、県や町や町などで区分されておらず、
あっても、集落と感じだったとは思いますが、
国が統制していく上でも、地域を区分しないと不便が生じるようになったと思われます。
(古墳時代とか聖徳太子がいた頃からなのかなぁ?)
乱世の中では、その土地を統治する人などで、地域の区分は変わっていったことでしょうね。

 

北相木村と南相木村は元々、相木村という1つの村でした。

 

それが、1565年(永禄8年)に南相木村と北相木村に分かれました。
理由は、意見の対立から高い壁が建設され・・・というのは嘘ですが、役場のホームページにも書かれていないので、これは、歴史博物館や図書館に行ったり、役場などに聞き込み調査など本格的に調べないとわからないかもです。

 

1871年8月29日(明治維新期の明治4年7月14日)に廃藩置県が行われていますから、
廃藩置県後は合併等が全く行われていないことになります。
その前から、すでに分かれていたことになりますね。
長野県では3番目に人口が少ない市町村ですから、1度も合併をせずに現在に至っているのは
ある意味すごいのかもしれません。

 

永禄8年は室町時代です。永禄の変があったのが永禄8年ですが、直接の関係はなさそうですよね。

 

室町時代は、長野県は「信濃国」で相木村は、「佐久郡」でした。
「「佐久」という地名は遅くとも866年に編纂された日本三代実録に記載があることからそれ以前に根付いていたものと考えられる。」とウィキペディアには書かれております。

北相木村には、当時お城がございまして、佐久郡相木城主は、「相木昌朝」でした。
「相木 昌朝(あいき まさとも)は、戦国時代の武将。信濃国佐久郡の国衆・阿江木依田氏の一族。佐久郡相木城主。佐久郡の岩村田大井氏の宿老か。のち甲斐国の武田氏家臣」Wikipediaより。

あれ?お名前が相木・・・!?(次回の南相木村で)

 

相木城址の石碑が北相木村郵便局にあるそうです。(https://sirotabi.com/2976/)

お城好きの方がいらっしゃるので、相木城のことや
戦国のことが好きな方がいらっしゃるので、武将のことは
いろいろ調べている方がいらっしゃるのですが、
北相木村と南相木村が分かれた理由がよくわかりません。

 

なぜ、北相木村と南相木村が分かれたのかは、おそらく、何かで記録されていると思うので、知っている方は教えてほしいのですが、上空から見てみるとですね・・・

こうなっておりまして、名前を入れますと・・・

境界を入れますと

うむ・・・ベルリンの壁や万里の長城よりもおそらく高い壁になっていることでしょう・・・
逆にこの村がそもそも1つだったというのも地図から見ると意外に見えてしまいます。
大戦略でマップを作って、戦いたいところです。

ますます、分かれた理由が知りたいところですね。

 

北相木村へ

小梅町、県道2号線にいます。

これから、北相木村と南相木村へ行きます。
そもそも、北と南ということで分かれている市町村名が長野県ではここだけなので、
北と南が書かれている看板もまた珍しい。

 

 

北相木村役場

北相木村に来ましたー
すぐ近くに相木川があって良いですね。

おじさんが釣りをしていますね。

こっち見てます・・・

け、決して、怪しいものではない!(十分怪しい・・・)

 

そそくさと次に行きます。

Next(次)

南相木村

編集後記

調べれば調べるほど、深くなる・・・
まるで、底なし沼のようです。。。

しかし、世の中には、変わったことをいろいろなことを調べている人がいるんですねー

ではでは~

こちらもよろしくです。

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この記事を書いた人

血液型:0型
所在地:信州(長野県)
バイク:Ninja250、クロスカブ
自己紹介:クロスカブに乗るへっぽこ40代ライダー。バイクのことは詳しくないけど、ツーリングが好き。長野県を中心にツーリングに出かけています。ITも好きなへっぽこITエンジニア。個人投資家ダメリーマン。Ninja250でお遍路中にコケるもなんとか11日間で全部回ってみたり、クロスカブで信州から四国までフェリーを乗り継いで1日で行って見たり、ボロボロになりながら、ツーリングライフを楽しんでいます。

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コメント

  1. マサ より:

    14000年………
    あまりにも昔過ぎて、いまいちピンと来ませんね😅
    縄文時代って、そんなに昔だったのか⁉️
    マンモスがいそうなイメージ😂
    しかし、普通は境界というと河川とかが多いけど、山の頂上で市の境界にするっていうのも適当というか面白い決め方だなぁ。
    どうしてそうなったのか?本当に理由が知りたいですね‼️

    • まのん より:

      マサさん
      分かれた理由は町の人なら知っているのかな?
      気になるところです。
      しかし、そんな昔から人が住んでいたなんて驚きです(゚д゚)!