こちらの記事で、
元旦にツーリングをして
初詣をしてきました。
その際におみくじをしました。
初詣に行かれた方は
おみくじを引かれたんじゃないですかね?
どうだったでしょうか?
大凶だったという人もいて、
神社によっては、
大凶ってあるんだなと思った次第ですが、
みなさんは「運」は良いほうですか?
今回は「運」について考えてみたいと思います。
運について有名な話として、松下幸之助の面接の話がありますね。
正確性はないのでご了承いただきたいのですが、
概要としては、
松下幸之助が面接者に「あなたは運が良い方ですか?」と聞き、
もし、運がいい方だと答えれば、採用で、
運が悪いと答えれば、不採用と言った話です。
松下幸之助がどんな思いでこの質問をしたのか計り知ることはできないのですが、
私が思うに、
運がいいのか悪いのかは自分の主観でしか無く、
実はどんな状況でも運が良いと思えるわけです。
その理由はこれからお話するとして、
どんな状況でも運が良いと思える人はポジティブな人と言うことですよね。
すぐに運が悪かったと思ってしまうので、
いけませんね~
運のタイプ
私が思うに、俗に言う「運」と言っているものには2種類あると思うんです。
①実は自分が関わっている運(間接的に自分が作り出している運)
②自分がどうすることもできない運(確率的な運)
実は自分が関わっている運
①については、
プレゼントを貰ったとか、誰かが助けてくれたとか、
リストラにあったとか、面接に落ちたとか、
他人がもたらすような運があります。
しかし、これについては、
一見、運のような気がしますが、
恐らく、自分自身が作り出している運であり、
厳密には運とは違うものではないかと思うのです。
例えば、急にプレゼントを貰ってラッキーということもあるかもしれませんが、
そもそも嫌いな人にプレゼントはしないわけで、
運が良いと言うより、その人がちゃんとしていたということが言えるのです。
就職の面接、学校の入試など受ける人によって
自分が受かったり落ちたりすることが
あるかもしれませんので、
そういった意味ではどうにもできない運もありますが、
ものすごい実力があれば、
全部落ちるということもないはずです。
もし、全部落ちるということであれば、
実力がそこまでいっていなかったということは認めつつも、
落ちたことが本当に運が悪かったのかと言うと
そうでもないと思っていたほうが良いと思います。
たしかに自分の希望通りにはならなかったが、
希望通りに行っていたら、
苦労することになっていたかもしれませんし、
別の道のほうが良かったかもしれません。
つまり、人生は2度ありませんから、
もう1つの人生を歩くことはできませんので、
比較はできないはずです。
となれば、今の人生は、
運が良かったと思っていたほうが良いということですね。
自分がどうすることもできない運
②については、
例えば、宝くじに当たったとか、大吉が出たとか
抽選に落ちたとか、病気になったとか、
雨でイベントが中止になったとかという
確率的な運です。
確率的な運なので、一定の割合で
「あたり」と「はずれ」みたいなことがあります。
はずればっかりだよーって
私も経験がありますが、
この確率的な運が悪かったとしても
確率なので、気にする必要がないですし、
気にしてもしょうがないということになります。
仮にこの運で良かった場合でも、
必ずしもその後いい人生かと言うと
そうでもない気がしますし、
運が良いからと言っても、
次も同じ運の良さが来ないのです。
だって、確率なので。
しかし、自分には実力や特殊な能力があって
運が良いんだと油断していると、
最終的に痛い目にあうのが歴史のようです。
むしろ、運がどうのうこうのと言うよりは、
これを受け入れ、
これからどうするのかを考えるほうが大事かもしれません。
人生という大きな視点で見てみると、
確率的な運がたまたま良かったとしても
それで人生が幸せになるほど甘くないということです。
例えば、1億円の宝くじが当たっても
本当に幸せが来るかはわかりません。
当選後、破綻する人も少なからずいます。
ですから、人生という長期のスパンで考えれば、
「自分は運が悪い」ということを考えることが
不幸の始まりで、
悪いことが起こったとしても、
人生で考えれば、
決して運が悪いことでもなく、
むしろ、運が良かったなと考えることが
人生がハッピーになれる方法ということなんだと思います。
ということは、本当に運が良い人と言うのは
何が起こっても自分は運が良いと考えられる人
ということかもしれませんね。
でも、もし、本当に運が良いことがあったときに、
これは運が悪いことかもしれないと
戒められる人は運を味方につけられるかもしれません。
「生きていること」が運が良い
私も人のこと言えた義理ではありませんが、
私も含め自分は運が悪いと思っている人は、
おそらく、
「地球に人間として生きていることそのものが運が良い」
と思っていない
ということかもしれません。
もしかしたら、
別の星のわけのわからないところに生まれていたかもしれません。
もしかしたら、
チンパンジーとして生まれていたかもしれません。
地球が生まれてから46億年ですが、
私達が生きられるのは、
長くてもほんの100年程度です。
生きている宿命として、
必ず死があります。
ですから、200年前の人はだれも生きていませんし、
過去の人は多くの人が死を迎えました。
これから生まれてくる人も今は生きていません。
宇宙ができてから、146億年。
今生きているのはこの時間にいる人だけです。
今も宇宙は膨張していて、
遠い将来には、銀河系以外の星は見えなくなり、
夜空を見上げても、天の川だけってことになるようですから
キャンプに行ってたくさんの星が見られるのは、
運のいいことかもしれませんよ。
自分たちが当たり前だと思っていることは、
実は運が良いことなのです。
運は自分の解釈次第
仮に、私が隕石が当たって亡くなったとしても
それを運が悪かったねと思うのは、
他人ですから、
私が運が悪かったと思うかどうかは別の話です。
亡くなっているので運が悪かったとも考えることもできないですしね。
天国で「俺、隕石に当たって死んだー(笑)」って
ブログに書いて喜んでいるかもしれません(笑)
究極のところ、どんな状況に陥っても、
こうやって生きていること自体が運が良い
と思えれば悟りを開いたようなものですが、
なかなかそう思えないのが人間かもしれませんね。
しかし、自分が地球というところに生を受けて
良いことも悪いことも
いろいろなことを経験できていることが
とても運が良いということですね。
他の国がダメというわけではありませんが、
私は日本に生まれてよかったのは
とても運が良かったのかもしれませんし、
いろいろなところにツーリングに行けるのも
運が良かったのかもしれません。
前にも話したことがあるかもしれませんが、
世の中には、今日の食べ物にも苦労している人たちがたくさんいます。
戦争をしていて明日の命もあるのかどうかもわからない人たちもいます。
病気になっても治療を受けられない人もたくさんいます。
そう思えば、日本で生まれてきたことは、
すごろくでサイコロの6の目を出したことと
一緒なのです。
世の中には、
自分より大変な思いをしている人が絶対いるわけで、
そういう人たちのことも考えず、
単に運が悪いなんて本当は言えないところです。
へっぽこは、
なかなか賢人のように運が良いとは
思えないところも時々あるのですが、
地球に生まれて、
日本に生まれて、
長野県にいて
自然がいっぱい見られる環境にいることは
とても運が良いことだから、
生きていうちに
いろいろな人と話をしたり、
ツーリングにいったり、
キャンプをしたり、
この自然を見ておきたいなと思うわけです。
暖かくなる季節が待ち遠しいですね^^
ではでは~
コメント
非常に深い内容ですね~‼️
実は自分も運については、常々思っているんですが、正直、答が出ませんてした。
もし、自分が日本でなく、外国に生まれていたらとか、日本の戦国時代に生まれていたらとか、それはもう色んなパターンを想像しますが、結局は想像の域を出ません。
生まれた国や時代により、運はかなり違いますが、まのぴーさんの言う通り、生きていること自体が幸運ですね‼️
ただ一つだけ分かった事は、視野が狭くなると少し嫌な目にあっただけで不幸と感じるし、視野が広がると、とりあえず今は五体満足、衣食住に不自由せずに好きなことができること自体がメチャクチャ幸せに感じます‼️
自分の行動で引き寄せている運、自分ではどうしようもない運がありますが、やはり運は出来るだけ自分で引き寄せてたいものですね?
でも、なかなか上手くはいきませんが?
コメントありがとうございます~
きっと、運が良ければ、
こんな事になっていなかったとか思ってしまうんですが、
たぶん私の実力なんだと思いますw
私達が生きていることは奇跡なんだと思います。
よくドラマなんかで、
「この世に生まれてこなければ良かったー」(-_-メ)って
親とかに言うシーンがありますけど、
そう思ったところで、
生きているのでどうしようもありません(笑)
そう思うことは人間たまにはありますが、
過去は変えられないので
これからどう生きるのかということを考えないと
いけませんね。
前向きに考えれば、
物事開けてくるのかも知れません。
それが運を引き寄せるということかも知れませんね。